4年が過ぎていきました。
ブログ、というものを始めてから、まる4年がたちました。
数字は、たったの4年間なのですが、
わたしの人生にとっては、もっとも濃密な時間でした。
ずっと見えなかった、自分の進みたい方向が見えるようになって、
ずっとコンプレックスだった英語は、仕事で使えるようになって、
自分のすべてを認めてくれるジャングルさんをみつけました。
自分の下地をつくるまでに、4年もかかってしまいました。
わたしは何をするにも、ほかのひとよりもずっと時間がかかってしまいます。
ここからの4年間は、なんとか具体的なものを残せるように、
がんばりたいと思います。
いつも口先ばかりなので、もっと、ちゃんと、目に見えるものを。
このブログを始めるころに、ジャングルさんはわたしの恋人になったので、
ここに書いてあることは、わたしとジャングルさんの歴史でもあります。
4年たったけど、ようやく、近距離生活が遠距離生活より長くなったかな、
というかんじです。
いちばん思い出に残っていることは何か、ということを考えたとき、
やっぱり、遠距離だったころのほうが、いろいろな思い出があります。
わたしがいちばん印象に残っているのは、
ひとりで、ウィーンとプラハを旅したときのことです。
そのとき、わたしは、ウィーンからプラハへ向かおうとしていたのですが、
「となりの国だし。」
などと油断をしていて、何も考えず、無計画に駅に行き、
「プラハ行きたいから、きっぷをくーださい」
と言いました。
すると、プラハとウィーンは、意外と遠くて、
電車で3~4時間くらいかかり、
しかも、その電車は、2時間に1本くらいしかなくて、
プラハのホテルに着くのが、夜の9時くらいになることが判明しました。
なんてこった。
ヨーロッパのふつうの町を、日本人が、女ひとりで、暗い中を歩くということは、
非常に危険なのですね。
もちろん、初めて行くホテルだから、駅からうろうろ歩いて探さなくちゃいけない。
しかも、旅行かばんを持ってて、観光客丸出しで。
恋人に話せば、不安が伝染することは明白だったのに、
わたしはうっかり、恋人にそれを話してしまいました。
すると、恋人は、たいそう心配し、
「ホテルに着くまで、起きて待ってるから、
いつでも電話してきなさい」
と言いました。
わたしがホテルに着く予定だった9時は、
日本時間での朝5時です。
しかも、恋人は、翌日も仕事に行かなくてはなりません。
もちろん、その日も仕事で疲れているはずです。
地球の裏側なみに離れた日本から、
ただ、わたしの不安を紛らわすためだけに、一晩中起きていてくれるというのです。
恋人は、約束はかならず守るので、
わたしは安心して電車に乗り込み、
東欧の田園風景を見ながら、ことこと揺られ、
プラハの街に着きました。
さらに地下鉄にのり、最寄駅に着いたのですが、
地図を見ても、さっぱりホテルの場所がわからず、
混乱していたときに、恋人に電話をしてみたら、
恋人は、本当に一睡もせずに起きて待っていました。
そして、わたしはまたやる気を取り戻し、やっとホテルに着いたのでした。
恋人は、ばかなわたしを一切責めることなく、見放しませんでした。
プラハはとてもきれいな街で、ひともみな優しく、ごはんもおいしいうえ、
恋人がとてもすきなミュシャの故郷なので、
いつか連れて行って、恩返しをしなくてはなりません。
それも、これからの4年で実現したいことのひとつです。
そんなわけで、これからは、感情に流されすぎないよう、
充実した日々をつくっていきたいと思います。
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