モラルの存在。
お店で働いていれば、
お客さんからのクレームを目撃することも多い。
クレーマーは、
「お客が、いちばんえらい。
だから、自分はえらいのだ。」
と、思っている。
同じ人間どうしだとは思ってはおらず、
自分を、大名か何かだと勘違いしている。
だから、自分のミスも、ふつうにお店のせいにする。
たとえば、
「あんたの店の駐車場で転んだ。
服が汚れたから、クリーニング代出しなさい」
みたいな(もちろん実話)。
そして、おもしろいことに、
クレーマー気質は連鎖するらしい。
クレーマーは、大体夫婦とか、家族とか、
団体で行動するのだが、
だれかがそういう理不尽なことでキレていると、
ほかのメンバーもキレている。
だれも、
「よく考えたらさ、みっともないから、やめようよ」
とか止めるひとがいないのだ。
わたしは、その奇妙な連帯感をとても不思議に思う。
たとえば、わたしがへんなことで怒ったとする。
そしたら、恋人はわたしをなだめるし、
二人で同時に怒ったとしても、
あたりちらしたりはしない。
もしもどちらかがそんなふうになったとしても、
どちらかは、止めるだろう。
江國香織の「ホリーガーデン」にあるように、
結局は、感情的になったほうの負けなのだ。
感情的になる人間は、だれからも信用されないし、
自分で自分の価値を貶めるだけなのだ。
日ごろ、仕事に忙殺されると、
「ふつうのお客さんは、みんないいひと」
ってことを忘れてしまうけれど、
そういうクレーマーがいることで、
ふつうのお客さんが、いかにいいひとたちであるか、
っていうことに気づくことができる。
クレーマーの出現は、
そういうことに気づきなさいよ、
という神様からのお告げなのかもしれない。
ふつうのお客さんは、大体みんないいひとだ。
「ありがとう」って言ってくれたり、
熱心にわたしたちの話をきいてくれたり、
わたしたちのことを気遣ってくれるひとも少なくない。
世の中には、いいひとのほうが断然多い。
話は変わって、ミクシィのコミュニティのこと。
わたしがつくったコミュニティは、
特に大きな告知や宣伝もしないので、
未だ人数も少ないのですが、
その分、メンバー間の距離をちぢめたい、
と思って、
マイミクシィじゃないひとには、
「よろしくお願いします」メッセージを送っています。
ただのあいさつなので、返信を期待してはいないのですが、
ちゃんとみんな丁寧なメッセージを返してくれる!
みんないいひとだぜー。
世の中に、ちゃんとモラルは存在する。
わたしはそう思うことにする。
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