異文化コミュニケーション。
みなさまこんばんは。ちょっとだけおひさしぶりです。
そして、今日から7月ですね。
北海道は、やっと暑くなってきて、夏らしくなりました。
PARTY WEEKは、あっというまに終わってしまいました。
意外にもパーティーがあっさりつぶれちゃったりとかして、
予想していたほどパーティーなかんじではなかったのですけれど、
それでも、まあ、いろいろと勉強になりました。
わたしは、とてもちいさい頃から英語を習っていたこともあり、
物心ついたころから外国にとても興味を持っていました。
なので、できるだけ外国人と接する機会を持とうとしていたつもりだし、
それなりにいろんな国のひとにも会いました。
それでも。
どうしても、外国人には慣れることができません。
もちろん、おともだちになれるひとも、たまにいるのだけれど、
やっぱり多少は日本語が話せるひとばかり。
言葉の壁は、どうしても崩せなくて、
余計なことを考えすぎて、必要以上の鎧を装着してしまいます。
会話に自分が介入することによって、
スムーズな話の流れを滞らせてしまったらどうしよう、という恐怖。
調子に乗りすぎて、失礼なことを言ってはいけない、という自制心
(文化や宗教が違うと、話題にも気を使わねばなりませんからね)。
それから、これは、欧米人のときに圧倒的に感じるのだけれど、
身体的特徴のちがいからくる劣等感。
からだのちがいを気にして、劣等感を抱くなんてー、ばかじゃないのーー??
と、わたし自身も思います。
でも、あの美しさ、頭の小ささ、笑顔のきらきら度、
流暢な英語の発音の美しさ(母国語だから当たり前なのに)、
自分のあこがれの全てを兼ね備えられると、
やっぱり、「うはー」って思っちゃうんだよな。
友人の妹(アメリカ人)は、わたしよりも背が高いのに、
断然頭がちっちゃかった。
わたしも、そんなに頭でかいほうじゃないと思うんだけど、
(身長がかなり低いからね)
あまりの小ささに、「わーー」って言っちゃうほどちっちゃかった。
友人のおかーさんも、かなりの歳を重ねているはずなのに、
太陽のようにきらきらの笑顔で、めちゃくちゃまぶしかった。
わたしはこんなにちんちくりんなのに、
このひとたちって、いったい何ーー?
って思っちゃったのよ。つい。
わたしはその場で、完全に自分を見失い、舞い上がり、
全然お話ができず、ただひたすら、にたにた笑っているのみだった。
あー、気持ち悪い。なんなのよ、わたし。
「自分」というものが、
意識して保ち続けなければならないほど、ちっぽけなものだったのか、
と、ショックだったし、
ただ単に生まれ育った環境がちがうからって、
ことばがちがうからって、
同じ人間を、自分とはちがう目線で見ていることについて、
視野が狭すぎるなあ、と、ショックだった。
なんだかとても曖昧で、うまく説明できないけれど、
とにかく居心地の悪い思いをしたのだ。
その場に、海外滞在経験のある男の子がいたので、
「だめだよぅ、舞い上がっちゃったよぅ、全然お話できないよぅ」
と泣きつくと、彼は、
「おれもそうだったよ、慣れるまで2ヶ月くらいかかったし、
日本に戻ってからしばらく経つので、
やっぱりすこしびびるよ」
と言っていた。
そうか、わたしだけじゃないのか。
でも、そんな同調は、何の解決にもならないのだ。
「うおーーー」と叫びながら、ちゃりんこで帰宅した。
わたしが、恋人を置き去りにしてまで海外での滞在を望むのは、
こういう気持ちを乗り越えるためなのかもしれない。
わたしは脱皮しなくちゃいけない。
そして、その時期は、もうすぐです。
どきどき。
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