自分のためじゃなく、ひとのために。
今日は、かなり自己中心的なことを書く。
かんちがいかもしれないけれど、
いま、自分が本当に思っていることなので。
歌うことに目覚めたのは、高校生のときだった。
BONNIE PINKのHeaven's Kitchenというアルバムに出会い、
あの難解なメロディを練習していたら、
気がついたら「歌がうまい」と言われるようになっていた。
でも、わたし自身は、それほどでもないと思ってた。
みんなお世辞だわよ、と思っていた。
音域は狭いし、音ははずすし、リズム感もないし。
大学の軽音部で歌わせてもらったり、
ともだちのCD制作に参加させてもらったり、
社会人になってからも、バンドを組んだりして、
何かしら歌う機会はあったし、歌うことがすきだったけれど、
それでも、本気で歌うことと向き合うことはなかった。
というのは、音楽をやっていくうえで、いちばん重要なのは、
実力でも、センスでもなく、人間関係だからだ。
音楽をやっている人間は、みんなそれぞれ強い意志を持っていて、
それを表現するために、試行錯誤している。
だから、当然、衝突は免れない。
いまだからこそ、ドライに受け流すことも覚えたけれど、
若い頃は、たくさんひとを傷つけたし、その分自分も傷ついた。
いまでもいちばん印象に残っているのは、
社会人になってからDormyちゃんとえせDiggyと
総勢5名でバンドを組んでいたときのことで、
なぜかおぢさんたちに気に入られていたわたしたちは、
もろに彼らの
「音楽とは、バンドとは、こうあるべきなんだぜー!」的な
音楽理論を押し付けられたり、
メンバー入れ替えの問題などで、かなり消耗してしまった。
歌えるかどうか、ということ以前の問題で、わたしは人間的に弱すぎたのだ。
というわけで、一度「ふりだし」に戻ったわたしは、
その後も、歌のレッスンに通ったり、
細々とメンバーを探したりしていたものの、
不完全燃焼であることには変わりはなかった。
が、
SOUL'd OUTのライブで、わたしの歌熱は、再燃した。
「どーーーーーうしても、Diggyに会いたいーーーー!!
mikiちゃん、わたしゃ、歌手になるよーー」
と、無意味に燃え上がってしまった。
でも、これもあながち悪いアイディアでもなさそうだ。
どこかで音楽とつながって、音楽人の輪を広げておいたほうが、
何もしないよりも会える確率は高いではないか。
それに、ひとにほめられる部分をさらに磨くのは、
自分のためにもなるじゃないか。
というわけで、早速歌の練習が始まった。ひとりで。
カラオケボックスにテープを持っていき、自分の歌をきくのだ。
これはなかなかによい練習になります。
ちょっとの期間練習しただけで、前よりも上達しているのがわかる。
というわけで、ある日、会社のひとに、おもしろおかしく
「わたしいま、ひとりカラオケで練習してるんですよー」
という話をしたところ、
「わたしもカラオケに行きたいー」
という話になり、いっしょにいくことになった。
ひとりで行くつもりで、しっかりテープを持参していたので、
せっかくだから録音しようと思い、
そのひとに
「本気で歌いますが、ひかないでください」
と了承を得て、テープをまわして、本気で歌った。
「カラオケで本気出しちゃうなんて、ちょっとはずかしーぜー。」
と思いながらも歌いきると。
なんと。
そのひとは、泣いていた。
「カラオケで泣くなんて、はじめてよーー」
と彼女は言っていた。
彼女自身も、まさかカラオケで泣くなんて予想もしていなかったのだろう。
もちろん、わたしもびっくりした。
たしかに、その曲は、ものすごく心にしみるメロディだったし、
もしかすると、そのひとは、感受性がひとより豊かなのかもしれない。
でも。
それにしても、わたしのうたが彼女の心を動かしたことはまちがいない。
これはあたらしい発見だった。
自分のためだけじゃなく、ひとのために歌うことのなんと気分のよいことか。
自分のうたで、感動してくれるひとがいるのなら、
わたしはもっとうまくなりたいと思う。
自分のために歌うよりも、ひとのために歌うことのほうが、
もっと強い動機になる。
愛知へ行く前に、わたしの歌テープを作って、みんなに押し付けてやる、
わたしを忘れないように。
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