選択の基準。
人生とは、選択することである、と、わたしは思う。
すべての工程は何かしらの選択を経て行われるものだと思っている。
朝目覚めた瞬間から、眠りに落ちるまでの行動のすべて。
朝ごはんを食べるか食べないか、
会社までのルートをどのように選ぶか、
帰ってきてからの時間を、
未来の準備のために使うか、休養するために使うか、
などなど。
たまに、大きな選択をしなくてはならないときがある。
仕事のことや、恋人のことや、将来のことなど、
明らかに人生が変えるであろう選択。
そういうとき、わたしはいつも「死んだとき」を意識する。
いま、この瞬間に死んでしまうとしたら、わたしはどれを選ぶだろうか。
死ぬときだけは、「ああしておけばよかった」っていう後悔は、
絶対にしてはいけないと思うから。
「死ぬこと」は、わたしの意識の中心にある。いつでも。
それは、後ろ向きな発想ではなくて、
それだけの覚悟を持って自分の時間を泳いでいるということ。
そういうレベルで選択した答えは、
たとえ世間がまちがいだと決め付けたとしても、
自分にとっては、まちがいであるはずがない。
最良の選択は、初めから決まっているのではなくって、
選んだものが、そのひとにとっての最良の選択になる。
と、わたしは思っている。
こういうことを話したら、めずらしがられたので、
こういうふうに考えているのは、わたしだけなのかしら、
と思って、ここに書いてみた。
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