ABSOLUTE LIFE

すてきなものにかこまれ、すてきな音楽をきき、すてきなものをたくさん見ることが、心のビタミン補給です。
0

くらべてる。

昨日は、英語をおしえてもらいに、とある飲み屋さんに行った。

英語のレッスンをしていると、
おねいさんのアメリカ人のだんなさんがやってきた。
常連さんたちもやってきた。
レッスンを中断して、みんなでわいわい飲むことになった。

常連さんのうちの一組は、とても元気のいい女性二人組み。
そのうちのひとりが、ちょうどおたんじょうびだったので、みんなでお祝い。
彼女は、すごくテンションが高くておもしろくって、
「いいなあー」
と思っていると、なかなか自分を出せなかった。
みんなが帰ってしまったあとも、
おねいさんと、だんなさんと3人でしゃべっていたのだけれど、
どうにもはずかしくって、英語をしゃべることができなかった。
わたしは、なんと、夜7時から1時まで、合計6時間もその店にいた。
そんなに時間がたってたなんて、びっくり。

おうちに帰ってきてからも、
わたしにはずーっとなにか、違和感がつきまとっていた。
おねいさんと話しているときは、ふつうだったのに、
だんなさんや、女の子たちがやってくると、
ひゅぅっと、わたしはしぼんでしまった。
おねいさんには、英語を話せたのに、
だんなさんには英語で話しかけられず、ずっと日本語で話してしまった。
その「人によって、態度が変わってしまう自分」について、
なんだか、とても納得がいかなかった。

つい最近まで、わたしはあたらしいひとに出会うことにとても貪欲で、
どんなひとにでも、すぐに打ち解けることができていたのだけれど、
なんだか、その日は調子がおかしかった。

相手によって、態度を変えるというのは、ある意味当然のことだとは思う。
目上のひとに対する態度と、ともだちに対する態度は、同じではいけない。
けれど、おなじ「ともだち」というカテゴリーに分類したなかで、
相手によって態度を変えるのは、まちがっているような気がする。
そんな自分を情けなく思うのだ。

これは、わたしがちいさいころから感じていたコンプレックス。
自分のまわりのひとを、常に自分とくらべてしまい、
「このひとは、すごい、かなわない」と思った人と話していると、
「自分はこのひとに見下されているのではないか」と思って、
素直に自分を出せないのだ。

たとえば、すごーいおしゃれなひとに会ったとすると、
「もしかしたら、このひとはわたしのこと、
”こいつ、だっせー”とか思ってんじゃないか」
と思い、なんとなく素をさらけ出せない。
外国人についてもおなじことで、
「もしかしたら、このひとはわたしのこと
”こいつ、話通じねー”
とかおもってんじゃないか」
と思い、過剰なリアクションをとってしまう。
そして、背伸びしている自分に気づいて、すごーく疲れて、
あまりの自分の器の小ささにとっても情けなくなる。

昨日、久々にそういう気持ちを味わった。
ちょっと弱ってる証拠だな。

関連記事

該当の記事は見つかりませんでした。

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://absolutelife25.blog36.fc2.com/tb.php/143-b639df5d