ABSOLUTE LIFE

すてきなものにかこまれ、すてきな音楽をきき、すてきなものをたくさん見ることが、心のビタミン補給です。
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発表会。

今日はまたまた歌の教室の発表会だった…。
いろんなコースで、いろんな楽器を習っているひとたちとともに、
バンドを組んだりして、ひとつの曲をつくるというものだ。

生徒さんたちをいろいろ組み合わせながら、
足りないところは先生が補ったりする。
ドラムコースの生徒さんひとりのために、
先生方がフルバンドで演奏していたりして、
生徒的には、かなり豪華な発表会であった。

わたしが歌ったのは、UAの「情熱」。
古い歌だけれど、名曲だと思うのだ。
中学生と高校生のサックス3名、
おじさんのギター、
高校生のドラムとベース、
クラスメイトの男性と、歌の先生のコーラス、
メインボーカルはわたしで、
合計9人というとても豪華なバンドだった。

とりあえず男の子たちには
「おまいら、スーツを着ろ」
と強制し、さらに「全員メガネ着用だー」とたたみかけ、
目のわるいひとはメガネ、
わるくないひとにもだてめがねをつけさせた。
なかなかまぬけかわいいいでだちで、
ぎこちないダンスを踊りながらも
全員音は本格派だったので、
会場はノリにのっていて、演奏は大成功だった。
よかったよかった。

この街はとても狭いので、いろんなひとに出会った。
会社の元先輩だったひとに出会ったり、
わたしが通っていた大学の教授に出会ったり、
友人の母娘がたまたま別の知り合いを見に来ていたり。
世の中は、狭い。

終わってから、高校生たちとカラオケで打ち上げをし、
その後なかよしになった友人と2人で居酒屋で
ほのぼのとおいしいごはんをたべ、
あっという間に一日は終わっていった。

やっぱりステージは最高だ。
向こう側が見えないくらいのライトを浴びるのが快感だ。
そんなわたしは超ド級ナルシストだと思う。
でも、ここまできたらそのナルシシズムを突き通したいと思う。

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歌をうたう。

通っている歌の教室の発表会があった。

ゴスペルクラスの生徒さんたちに混じって歌うのだけれど、
総勢22名で、高校生から、60歳のおぢさんまで、
年齢層が幅広く、バラエティに富んでいる。
全部で3曲を披露するのだが、最後の曲でソロを務めることになっていた。

この曲の音域は、わたしの声域よりも高く、最後まで非常に苦しんだ。
自分にとって、ものすごくハードルが高かった。
でも、せっかく与えてくれた大役に弱音をはくことはできない。
最後まで、その音域を出すことはできなかったので、
とにかく開き直り、
「ZEPP Sapporoのステージに上がり、照明を浴びるのをたのしむこと」
それだけに専念することに決めた。

とにかく集中するため、気合を入れるために、
会場入りする前にネイルサロンへ行き、
薄いベージュのマニキュアを塗り、左手薬指にネイルアートをしてもらった。
直後に親指のネイルがよれて、わたしの気分もよれたけれど、
きらきらの薬指の爪を見て、気分をごまかした。

歌そのものには自信はなかったけれど、本番には強いので、
本番で発揮しうる集中力には自信があった。
きちんと自分の役割を果たす自信はあった。
「本番での強さ」は、自分の性格のなかでも気に入っている部分で、
これだけでここまで生きてきたのかなあ、とも思う。

会場に入って、他のひとたちの衣装の派手さと、
自分の洋服のあまりの地味さのギャップに驚いた。
みんな正装か、大胆な肌見せか、強烈なラメ攻撃なのだ。
せっかくの晴れ舞台なんだから、もっと気合を入れてくればよかった…。

この発表会で強く感じたことは、
「世の中は、ものすごーーーく広い」ということだ。
通い始めてから、一年弱、教室を通したわたしの世界は、
先生と、クラスメイトの2、3人だけだったのだけど、
北海道の、しかも同じ系列の教室のひとたちだけでも、いろんなひとがいた。
「目に見えている世界なんて、ものすごく小さい!」ということは、
すべての事象において共通する真理であるなあ、と強く感じた。

さて、わたしのソロはというと、やっぱりなんとかなった。
舞台の上にいる自分を楽しめたし、
いつも以上にはじけられたし、大きな失敗はしなかった。
モニターから自分の声がきこえなかったけれど、
へなちょこだったとは思う。
でも、わたしは満足したのだから、それでいいのだ。

どんなに長期間練習を重ねても、その成果を発揮するのは、本当に一瞬。
その儚いかんじが、ちょっと切ない。

ライブ終了後、打ち上げへ行く。
ほぼ初対面のひとが多かったのだけれど、盛り上がった。
対人関係へのコンプレックスを、少し克服できたのかな。
「なかよくなりたい!」と思う女の子がいたので
(好き嫌いがかなり激しいわたしにとってはめずらしい出来事)、
話をしてみたら、年齢が近く、実家が同じで、家も近所だったので、
遊ぶ約束をした。
ほかにも、
前から行きたいと思っていたダンススクールに通っている高校生がいて、
携帯の番号とアドレスを交換し、次の月曜に早速行くことにした。
高校生と携帯番号交換なんて、今までしたことなかったのに!
それから、今月末の次の発表会の打ち上げで、カラオケへ行く約束をした。
あたらしいともだちと、たくさんの約束で、
わたしの日々が動き始めたのを感じた。
ひとといっしょにいることをたのしいと思えた自分が、
ちょっとうれしかった。

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イラク日本人人質事件の犯行声明。

イラクで人質として拉致された香田さんが殺害され、
その犯行声明が出された。

わたしも物好きだとは思うのだけれど、
その声明で犯人たちが何を言いたかったのか、
どうしても気になってしまったので、「2ちゃんねる」をのぞいてしまった。
ほんとうにひどかった。

なかには、香田さんを悼むメッセージももちろんあったけれど、
それと同じくらいに心ない書き込みも多くって、
その映像を見ても、何の痛みも感じないひとがいることを知って、
わたしはあまりのことに驚いた。

わたしは小心者なので、決してその映像は見ていない。
ホラー映画でさえこわくて見られないのだから、
本気の殺人現場なんて、見たら卒倒に決まってる。
わたしと同じように小心者で映像を見られないひとたちのために、
親切なひとたちは、その内容を詳しく記述していたのだけれど、
残酷で、ひどくて、わたしは思いっきりショックを受けた。

いままでは、香田さんがイラク入りしたことについて、
無防備で日本にとって迷惑極まりない行為で、
自業自得であるとおもっていたのだけれど、
そんな考えはいっぺんに吹っ飛んだ。
どういう理由にせよ、ひとの命というものがあんなに
(といっても見ていないけれど)
軽々しく奪われるなんて、あっていいことなのか、
と激しい憤りを覚えるとともに、
心底気持ち悪くなり、眠れなくなり、友人に助けを呼んだ。

どうしてそんな映像を見ても平気でいられるひとがいるんだろう、
とか、
そして、いくら国民性が違うとは言え、
こんなに残酷なことができる犯人は、
いったいどうしてそこまで追い込まれてしまったんだろう、
とか、
そういうことを考えていたら、
自分があまりにもしあわせに生きてきたことを知った。

友人にこのことを話すと、友人もその声明の内容を知っていて、
しかも、高校生の弟の携帯電話にその映像が転送されてきて、
弟は授業中にその映像を見たらしい。
ありえない。信じられない。

インターネットはとても便利だけれど、
誰でもこんな残虐な映像を見られる時代になってしまって、
それが冷徹な人間を量産する原因になっているのかと思うと、
すごく悲しく、切なく、胸が痛くなった。

それでも。
香田さんの両親が何度もコメントを発表しているけれど、
そこにはいつも周囲に配慮した言葉がそえられていて、
立派だなあ、と思った。
自分の家族がこんな状態になってしまって、
コメントすることすら辛い状況であるだろうに、
まわりへの気遣いを忘れないなんて、ものすごく人間ができている。
立派だ。
両親の立派さは、より多くのひとの心を動かしたに違いない。

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珈琲時光 2003年 日本

珈琲時光
一青窈が、映画初出演にして初主演ということで、
話題になっていたこの映画。
日本の美しさをうつしていそうだなあ、と思ったので、
早速見に行ってみた。
のだけれど。

これは、確かにほかの映画とはちがう。
ここまで「日常生活」を自然に且つ忠実に描いた映画もないと思う。
けれど、どこまでも淡々と続く、ひとりの女性の生活には、
何のおもしろみも感じられなかった。
あんなに超自然的な映像、演技、セリフの連続では、
登場人物たちの心情を推し量ることはできなかった。

確かにひととしての優しさは伝わってきて、
心が温かくなる映画ではあったと思う。
陽射しのやわらかさ、静かな生活の穏やかさ、
などなど、身近にあるのに忘れていたものを思い出させてはくれる。

しかし、特に波のないストーリーは、
それぞれのエピソードの意図がわからないし、、
演技なのかどうかもきわどい俳優たちの動きについても、
うーん、感想が、わいてこない。

一青窈も、期待していたほどのオーラは発しておらず、
髪も服装も本当に地味で、ふつうのひと。
最後のテーマソングで、
「ああ、そういえばこのひとは普通のひとではなく、歌手だったなあ」
と思い出したくらいだった。

とまあ、さんざん悪態をつきましたけれども、
こういう映画も「あり」なんだなあ、と思ったので、
「美しい東京」を見てみたい方はどうぞ。

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