自分の主張はコピーできない。
自分の母校の名を、こんなはずかしい記事のなかに発見。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080720-00000001-jct-soci
確かに、レポートは、ぱくってなんぼだと思います。
そうじゃないと、何十枚もの規定をこえられるわけがないじゃないか。
でも、ただコピーしてはりつける、ってのは、
さすがにやったことはないな…。
それは、レポートではなくて、ただの文字列、よね。
わたしもたくさんレポートつくったけどさ、
自分なりの文体にしたり、自分の考えをさしはさんだりして、
それなりにがんばってたよ。
なつかしい、あのころ。
もう二度と戻りたくないけど。
それにしても、この記事を見て悲しくなったのは、
小中学生が書くような読書感想文にまで、
こんなこずるい手段が使われるのか、ということ。
っていうか、それを誘導するようなサイトがあること自体信じられないわ。
読書感想文なんて、大学のレポートとちがって、
そんなに枚数多くないんだし、
純粋に本を読んだ感想を書けばいいのに、
なぜ、そんな手抜きをするのだろうか。
本を読むことすらできなくなったのか?
読めても、何も感じないんだろうか。
設定されてるハードルが低いうちから姑息な手段を使うなんて、
ろくな大人になれないぜ。
話は変わりますが、
わたしは自分の意志に反して、姑息な手段を使ってしまったことがあります。
それは小学生のころのことでしたが、
わたしの読書感想文が、市内のコンクールで最優秀賞をもらいました。
小さい街だし、ただの読書感想文でしたが、
とにかくいちばんになったわけです。
わたしはとってもうれしかった。
がんばって書いた文章が認められたわけですから。
市役所かどこかによばれて、表彰を受け、
その年の優秀作品がまとめられた冊子をもらいました。
そして、それを見て、衝撃の事実を知りました。
読書感想文の最後に、先生の手によって、勝手に一行付け加えられていたのです。
さらにひどいことに、その冊子には、審査員の講評が載っていて、
先生が付け加えた、最後の一行が「すばらしい」と書いてありました。
つまり、最優秀賞は、わたしがとったものではなく、
先生がとったものだったのです。
それを知って、自分がどうしたのかは、おぼえていません。
でも、ものすごくショックだったことはおぼえています。
いろんな記憶がどんどん抜け落ちていくのに、
そのことだけは、くっきりと覚えています。
先生は、よかれと思って付け加えたのだと思います。
でも、それは、結果的にわたしを傷つけることになりました。
それは、わたしの望んでいたことではなかったのだから。
結果もだいじですが、そこにつながる感情は、もっともっとだいじなのです。
だから、わたしは何をするにも、自分の感情や直感を信じています。
答えは自分のなかにあるものであって、
決してどこかからコピーして持ってこられるようなものではないのです。
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